越後の天神さま 「お菓子の窓からのぞいたら」第41回
「天神さん 天神さん どこまでござった~」と、正月の天神さまを待つわらべ唄が残るのは旧加賀藩領域で、金沢などの旧家では、12月25日にドールハウスのような木製のお宮「天神堂」を飾り、正月を迎えました。
同様に、能登や越中富山、さらに越前福井にも、祀り方に違いはありますが、家庭で天神さまを祀る風習が残っています。
それは越後新潟でも同様で、高田、直江津、柏崎、刈羽、出雲崎では、天神さまを新暦1月にお祀りし、県中央部の地域では、旧暦1月25日(今年は2月21日)に近い2月にする家庭が多いようです。
県内でも天神さまの風習がよく残る柏崎では、中越沖地震をきっかけに、我が家の天神さまを見てもらおうと、毎年、有志30数軒ほどが公開しています。天神さまのいらっしゃる座敷にあげていただき、そのお宅の天神さまについていろんなお話が聞けるのが楽しくて、この時期になると出かけています。江戸末期からの家庭行事を今も続けているお宅がこんなにあるのかと、行くたびに驚いています。
柏崎の天神さまの魅力は、なんといっても、家々で祀り方に違いがあることです。共通なのは、正月と小正月をともに過ごすこと。お供えは、正月に鮭の一の鰭と鏡餅、おせちなど。
そして小正月には、まい玉・餅花用に餅を搗いたので、白菱餅のお重ねを供えたものでした。これは、宮中や社寺などの正月の飾り餅が、丸餅と菱餅を積み重ねる様式を思わせ、興味深く思っています。
最近人気の正月の和菓子に「花びら餅」がありますが、「菱葩」とも書き、日月・陰陽を表すとされる白丸餅と紅菱餅に、味噌餡とゴボウの蜜煮を一緒に挟んで半円にたたんだ菓子で、正月の重ね餅のおさがりをいただく趣向です。つまり、天神さまに鏡餅と菱餅を供えることは、花びら餅のルーツにも通じていそうです。さらに、まい玉・餅花は星を表すともされ、餅で日月星・天地を祝う、天の神さま、年の神さまの空間が、家々に出現していたことになります。
天神さまへのお供え料理が塩辛かったことで、「天神さんが病気になるねか!」と舅に叱られた嫁の話を聞いた時、私には柏崎の嫁は勤まらないな、と思いましたが、そういう思いで天神さまに接する家長がいたからこそ、今も行事が受け継がれているのでしょう。
この天神さま行事を2月24日の宵宮や25日にする地域は、私がわかる範囲で、長岡市の中之島・与板、見附市、三条市、燕市、新潟市の新津・小須戸・海老ケ瀬などです。これら地域でのお供えは、祝い菓子の定番、粉菓子の詰め合わせです。鯛に海老、松竹梅、果物など。それに加え、燕、新津、小須戸では天神さまのお姿を象った粉菓子まであり、地域ごとに様々です。新津では、小学校の給食に天神さまの粉菓子がつくそうで、戦時中でさえ、天神さまの日には、生菓子が配られたとお聞きしました。
新津や小須戸では、線香花火もお供えします。春を呼ぶ天神さまの宵宮には、ごちそうの膳を囲み、座敷の手あぶり火鉢で線香花火をしたそうです。町や通りには線香花火の煙がたなびいたという、おとぎ話のような思い出も聞かせていただきました。
県内各地には、子どもたちの天神講もあり、魚沼地方には祝い唄「天神囃子」があります。そして、佐渡に流された順徳天皇がお持ちになった天神像が、上杉景勝により出雲崎・多聞寺に移され、昔は境内の高台に天神堂がありました。一時は町内に「お練り」もあったのですが、今は本堂に秘仏として安置されています。これほど今も昔も天神さまに思いを寄せる県は、他にちょっと思い当たりません。
「お菓子の窓からのぞいたら」41回 新潟日報2016年1月19日掲載
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