銀貨とパイプ  「お菓子の窓からのぞいたら」第32回 

ドイツのライン川沿い地域で11月13日に食べるひとがたパン「ベックマン」。クレイパイプを持つ


 ジャガイモ、トウモロコシ、トマト、インゲン豆、チョコレート、唐辛子・・・。
16世紀に新大陸から世界へもたらされたのは、こうした食品ばかりでなく、銀とタバコも大きなインパクトを与えたようです。私がそれを実感できたのは、旧フランドル地方の菓子やパンでした。
フランドルとは、現在のオランダ、ベルギー、フランスにまたがる地域のことで、大航海時代に、1世紀ほど、スペイン帝国の支配下にありました。そのためスペインが新大陸から運んでくる文物が集中的に流入し、フランドルは北ヨーロッパの物流拠点として繁栄したのです。
北ヨーロッパでは、それまでのライ麦に加え、ジャガイモやトウモロコシといった主食級の食物が定着すると、飢餓が減り、人口も増えました。メキシコ産スペイン銀貨が流通し、小麦も買えるようになると、カトリックの祭礼日に合わせ、卵やバターも使う、お菓子のようなパンもつくられるようになったのです。

スペイン銀貨に由来する陶製メダル付きパン「クニュ」(ともに筆者再現)。左に2種のひとがたパン


11月から新年にかけては、ヒトの形をはじめ、独特な形のパンがつくられ、ブリューゲルなどのフランドル画家がそれらのパンや菓子を描きました。たとえば、お包みのような形のパンには、「パタコン」と呼ばれる陶製のメダルをのせて焼きました。パタコンとは、メキシコ産の銀で鋳造された、スペイン帝国のレアル銀貨の愛称でした。
この頃、メキシコの銀の精錬技術は他を圧倒していました。フィリピンからメキシコへ帰還中の船が難破し、日本に10か月間の滞在を余儀なくされたスペイン人貴族に、徳川家康は、銀山鉱夫50人の派遣を依頼したほどです。そのことは、当のビベロが「日本見聞記」(1609)で、スペイン王へ報告しています。
銀貨と同じくパンにのることになったもう1つのものが、タバコのパイプでした。
ドイツのライン川流域で、11月13日の聖マルチンの日に食べる、「ベックマン」というヒト形パンは、なぜかパイプを持っています。冬のヨーロッパでは、ヒト形パンは珍しくないのですが、ベックマンだけがパイプを持っているのが不思議でした。 
そこで、後回しとなっていたタバコやパイプのことを調べ始めると、またもメキシコが浮上したのです。
パイプのふるさと、メキシコの古代マヤの習俗を記録した絵文書には、人の死の場面で、神官たちが柄の長いパイプから煙をふかす様子が描かれています。タバコは、人の生死にかかわる時などに用いられる薬草だったようです。
そのタバコも、スペイン人により呪術的な要素を排除され、贅沢な嗜好品としてフランドルへ陸揚げされました。そこから内陸部への物流を支えたのがライン川でした。流域では白土がとれたため、クレイパイプの産地がいくつもできました。ベックマンが持っているのは、この白いクレイパイプでした。
最近、ウイーン菓子を教えるオーストリア人の友人が、やっと手に入れたと言って、古いオーストリアのパンの本を見せてくれました。驚くことに、その口絵の写真には、パイプそのものをかたどったパンがあったのです。
ライン川上流に当たるオーストリアのチロル地方では、木彫や陶製の立派なパイプがつくられました。写真のパンの形は、まさにそのチロルパイプで、12月6日の聖ニコラウスの日の贈り物パンでした。
ヒト形パンは、年の変わり目に現れる、再生のおまじないパンで、日本の「年玉」に当たります。年玉は元来、丸い餅でした。玉は魂で、新しい命をいただくおまじないの餅なのです。銀貨やパイプ付きヒト形パンは、豊かさへの願いが添えられた年玉といえそうです。

「お菓子の窓からのぞいたら」第32回 新潟日報201611月10日掲載




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