辻占とパピヨット  「お菓子の窓からのぞいたら」第37回

上左は長崎県平戸の辻占煎餅、上右は富山県福光の有平糖の辻占、下左は東京・高幡不動尊門前の辻占煎餅(三条・小林製菓所製)、下右はフランスの火薬入り「パピヨット」の包む前(写真提供=ア・レトワル・ドール) 

  

「くる日を祝ひな」「いゝようでかなう」などの言葉が書かれた辻占が入った菓子をご存じでしょうか。

「辻占」は日本古来の占いです。夕方辻に立ち、そこで聞いた通行人の言葉や様子を神示としました。

ひとり占いだった辻占ですが、言葉で紙に書かれるようになると、その紙も辻占と呼ばれました。刷り物として菓子にも添えられ、京阪・江戸では錦絵や落語の題材にもなり、大流行しましたが、すたれるのも早かったようです。

一方、現在も新年の年占や縁起物として楽しむ地域があります。長崎県平戸市、富山県や石川県を含む旧加賀藩領域、そして本県です。特に魚沼地域は、平戸と同じ形の味噌煎餅をたくさんの店が焼きました。堀之内には、昔ながらの手焼きの店が1軒だけ残りますが、正月前の今が、まさに製造時期です。

辻占に興味を抱いたのは、私自身、辻占に覚えがあったからです。子どもの頃、「お好みあられ」なる袋菓子に、あられや豆、昆布などに混じって、ひょいとひねられて入っていたのが辻占でした。 

それを思い出させてくれたのは、京都伏見稲荷の参道で売られる辻占煎餅の2色摺りの辻占でした。狐につままれたのか、以来、辻占を追うこと15年になりました。 

県内では、すでに廃業された後でしたが、江戸末期創業の小出・鶴屋のご主人に、辻占煎餅や、その昔、粉菓子にも辻占を入れていたことなどを教えていただきました。

さらに、辻占付きの生菓子を年夜の膳につける事例に遭遇したのは、たった2年前ですから、本県での縁起菓子としての辻占の全容は、まだまだ見えたとは言えません。

明治元年、江戸日本橋に辻占菓子を売る望月堂を開いた、元芸者の小越(悦)は、角兵衛獅子が十八番だったとか。錦絵にも描かれた彼女ですが、越後出身の可能性もあるかもしれないと思っています。

小越と同じ頃、和洋の献上菓子を製造してきた凮月堂は、番頭の米津松蔵を、横浜の外国人居留地へ西洋菓子の見聞に出しました。その後、米津にのれん分けしたのが両国凮月堂です。米津松蔵の西洋菓子は画期的で、飲む「貯古齢糖」などもありました。

そして、明治11(1878)年12月25日、彼は「新年辻占パピヨ」なる菓子の新聞広告を出します。その宣伝文句は、「此品は西洋各国にて新年宴会の折戯むれに供するものにて至極面白きものなり」というものでした。両国凮月堂も「辻占パピヨ」も今はなく、詳細は不明ですが、現在、東京凮月堂が出している洋風巻煎餅「パピヨット」に、「パピヨ」の名残を感じ、小越などもつくったであろう、当時人気の辻占入り巻煎餅のアレンジではなかったか、と思わせてくれるのです。

フランスには、「辻占パピヨ」の元となったと思われるクリスマス菓子「パピヨット」があります。「パピヨット」とは巻煎餅ではなく、キャンディ包みのことで、中にはチョコレートなどの菓子や言葉が書かれた紙と一緒に、両端を引くとパンッと鳴る、火薬を塗った紙も入っています。1月6日まで続くクリスマス期間は大活躍。破裂音で魔を祓うのは、中国の春節の爆竹と同じです。小さな魔除けを搭載したパピヨットは、今もフランスの新年を彩る縁起菓子なのです。

同じように日本海側に点在する、新年の「辻占」の習慣は興味深いものです。富山県の福光では、昭和の頃まで、大みそかの仕事納めに使用人と家族全員で、福茶と辻占を楽しんだと聞きました。平戸では、福茶と辻占は元日の朝だそうで、県内での年夜の膳の辻占の例と同じく、年占的なものだと思われます。そのような辻占に覚えがある方は、どうぞお聞かせください。 

年夜のお膳につけられる辻占付き生菓子。年末だけの特注品(出雲崎・伊達菓子店製)


「お菓子の窓からのぞいたら」37回 新潟日報2016年12月15日掲載


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