最中の月  「お菓子の窓からのぞいたら」第38回

 左は高田カトリック教会のステンドグラス。右はせんべいを焼く金型と米や小麦のせんべい

  

高田カトリック教会で長く主任司祭を務められた、カンドゥチ・マリオ・タルチシオ神父に、先日お会いすることができました。マリオ神父は、私が通った長岡カトリック天使幼稚園の園長先生をされた時期もありました。現在は、高田から東京・世田谷の修道院に移られています。

5年前に高田カトリック教会をお訪ねした時、マリオ神父はお留守でしたが、念願の五郎八姫と聖餅箱が描かれたステンドグラスを見学することができました。五郎八姫は、初代高田藩主松平忠輝に嫁いだ、伊達政宗の娘で、キリシタンであったと伝わります。

また、聖餅「オスチア」とは、ミサに使う「ご聖体」で、小麦製の薄いせんべいですが、「パン」でもあります。

実は、日本のせんべいのはじまりは、はっきりわかっていません。先週の辻占煎餅のような小麦のせんべいもあれば、うるち米やもち米のせんべいもあり、製法もいろいろです。「麩焼きせんべい」などは、もち米製なのに、その名に、小麦食品の「麩」の字がついています。ややこしや。

米の軽いせんべいの類いで有名だったものに、京の「丸山かるやき」、江戸の「最中の月」があります。「最中の月」は、金型に餅の小片をはさんで焼いた、丸いせんべいでした。「最中の月」とは、中秋の名月のことで、丸いせんべいを名月に見立てたわけです。

その「最中の月」2枚で餡をはさんだものが、和菓子の「最中」の始まりとされます。

辻占煎餅のことで何度もお訪ねしていた小千谷の田中屋さんが、中越地震で廃業を余儀なくされた時、手焼きせんべい型は私がひきとらせていただき、保管しています。

「最中の月」も焼くことができる、このせんべい型は、ヨーロッパでオスチアを手焼きするための金型とそっくりです。日本のせんべい型は、宣教師が持ち込み、オスチアを焼いた金型が始まりではないかとも感じます。なぜなら、宣教師が伝えた南蛮菓子のなかでも、聖餅は最も重要で、ミサに欠かせないものだったからです。17世紀の「南蛮料理書」などに記録されながらも、その後の消息がつかめないオベリヤス・おいりやす・ヲペリイなどの菓子は、オスチア・オブレアスではなかったかと考えています。

この最も素朴なせんべいは、金型があれば、誰でも台所で焼くことができます。たとえば、県内では、小正月のまい玉(まゆ玉)せんべいがあげられます。農家などで自家用金型を1丁常備し、囲炉裏で焼いたものでした。そして、まい玉せんべいには米の霊力が宿ると考えられ、体の悪いところに護符のように張り付けた話もよく聞きました。

高田カトリック教会では、新井などの離れた地区へ神父が巡回し、信者が集まる家でミサを行ない、終わると、祭壇は食卓になったそうです。

そのような温かい雰囲気での家庭ミサが、ポーランドのクリスマスにも見られます。今の時期だけ教会でオスチアが売られ、各家庭のクリスマスの食卓で、家族が分け合って食べるのだそうです。複雑な歴史のうねりの中で、教会でのミサを受けられなかった時もあったからでしょうか。

 「最中の月」の「最中」とは中秋、つまり旧暦8月15日のことですが、8月15日といえば、教会暦で聖母マリアの日に当たります。そして、マリオ神父の修道名である聖タルチシオの日でもあることに気がつきました。聖タルチシオは、聖餅を胸に抱いて殉教した聖人だそうです。

マリオ神父がご尽力された高田教会のステンドグラスの五郎八姫と聖餅箱は、私にとっても大きな意味を持ちます。マリオ神父が近くにいらっしゃるので、これから何度か、せんべい談義にお訪ねしようと思います。

「お菓子の窓からのぞいたら」38回 新潟日報2016年12月22日掲載


マリオ神父さまは2010年2月に帰天されました。愛情あふれる方でした。感謝と賛美を捧げます。


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