「正月飾りとしての天神さん」
柏崎の天神さんについて、民俗学研究者の三井田忠明さんがまとめてくださいました。
「正月飾りとしての天神さん 新潟県柏崎の正月行事」
新潟県民俗学会誌『高志路』392号(2014年6月30日発行)に収録
三井田さんが書いてくださったおかげで、地域ごとの違いもわかりやすくなり、
たいへん貴重な資料だと思います。
一緒に写っているのは、柏崎でなく、新潟県内のほかの地域で天神さまに供える
天神菓子のうち、お菓子でできた天神さま(燕市分水の横田屋製とさかたや製)。
天神菓子を供える地域では、旧1月25日(月遅れの2月25日)に家庭で天神さまを飾る。
北陸の天神さま飾りは、たとえば高岡のように、1月25日という日にちが多いが、
新潟県内では、それが一筋縄ではいかないようだ。
旧暦・新暦の問題と、行事の内容自体の変化も大きな要因。
因みに、ここでいう天神さま行事は家庭の行事であって、社寺とは関係ない。
三井田さんが書かれているように、柏崎などでは、天神さまは正月の歳神的存在であるため、
暮から飾り、新暦の正月から約1か月間おまつりしている。
主に海に近いマチと呼ばれる地域。それも旧家に多い。
出雲崎の天領だった海沿いの地域では、1月25日までにお飾りする。
しかし、柏崎市北部の宮川地区の旧家では、2月25日。
そして、長岡市中之島地区や与板地区、見附市、燕市、新潟市東区、新津地区、小須戸地区などは2月24日(宵宮)、25日に天神さまをおまつりする。
これら「春を呼ぶ」天神さまと慕ってお祝いする地区では、旧暦1月25日に行っていた頃の季節感に近い2月25日に行っている。雪国の春を待つうれしい気持ちがあふれる家庭行事だと思う。
柏崎では正月でなくてはならないため、新暦となっているが、他の地域では昔ながらの時節を守って旧暦のほうを大事にしている。
最近では、旧暦にちかい2月25日に行う地域では、受験を控えた子どもたちにもぴったりの日取りになるため、学問の神さまとしての菅原道真が重視され、行事内容が少しずつ変化してきているようだ。
おそらく、行事の内容が変化せずに引き継がれているのは、むしろ新暦に合わせた柏崎のほうだともいえそうだ。
柏崎の正月行事としての天神さんは、子どもの天神講とは別の行事であることがはっきりわかるが、その他の地域では、少しあいまいになっていて、燕市のように家庭内の行事でも「天神講」と呼ばれる場合もある。新津では、「天神さまの宵宮」と呼ばれ、楽しい行事だったと聞く。
菅原道真の命日だといわれることがあるが、受験のご利益を求める近年のことのようだ。
すべてを司る天の神さま、家の守り神を新年や季節の節目にまつる古きよき行事だと思う。
*最後におわびと訂正をさせてください。
拙書『福を招くお守り菓子』などでは、2月25日に天神さまをまつる地域では、旧暦ならば3月のお彼岸に近い頃だったのでは、というような書き方をしていましたが、これは間違いです。申し訳ありません。
今現地でお話を聞いても、すでに新暦なのか、旧暦なのかはっきりわからない場合が多く、むしろ天神さまの命日という話も多く聞かれ、気になっていたのですが、各地の市史などの地元資料をあたってみると、旧1月25日の行事であったことが確認できました。
「春をよぶ天神さま」は現在もよく見聞きします。春を待ちのぞみ、家族で祝う家庭内行事であったこと、今後も大切に伝えていけたらと思います。
「正月飾りとしての天神さん 新潟県柏崎の正月行事」
新潟県民俗学会誌『高志路』392号(2014年6月30日発行)に収録
三井田さんが書いてくださったおかげで、地域ごとの違いもわかりやすくなり、
たいへん貴重な資料だと思います。
一緒に写っているのは、柏崎でなく、新潟県内のほかの地域で天神さまに供える
天神菓子のうち、お菓子でできた天神さま(燕市分水の横田屋製とさかたや製)。
天神菓子を供える地域では、旧1月25日(月遅れの2月25日)に家庭で天神さまを飾る。
新潟県内では、それが一筋縄ではいかないようだ。
旧暦・新暦の問題と、行事の内容自体の変化も大きな要因。
因みに、ここでいう天神さま行事は家庭の行事であって、社寺とは関係ない。
三井田さんが書かれているように、柏崎などでは、天神さまは正月の歳神的存在であるため、
暮から飾り、新暦の正月から約1か月間おまつりしている。
主に海に近いマチと呼ばれる地域。それも旧家に多い。
出雲崎の天領だった海沿いの地域では、1月25日までにお飾りする。
しかし、柏崎市北部の宮川地区の旧家では、2月25日。
そして、長岡市中之島地区や与板地区、見附市、燕市、新潟市東区、新津地区、小須戸地区などは2月24日(宵宮)、25日に天神さまをおまつりする。
これら「春を呼ぶ」天神さまと慕ってお祝いする地区では、旧暦1月25日に行っていた頃の季節感に近い2月25日に行っている。雪国の春を待つうれしい気持ちがあふれる家庭行事だと思う。
柏崎では正月でなくてはならないため、新暦となっているが、他の地域では昔ながらの時節を守って旧暦のほうを大事にしている。
最近では、旧暦にちかい2月25日に行う地域では、受験を控えた子どもたちにもぴったりの日取りになるため、学問の神さまとしての菅原道真が重視され、行事内容が少しずつ変化してきているようだ。
おそらく、行事の内容が変化せずに引き継がれているのは、むしろ新暦に合わせた柏崎のほうだともいえそうだ。
柏崎の正月行事としての天神さんは、子どもの天神講とは別の行事であることがはっきりわかるが、その他の地域では、少しあいまいになっていて、燕市のように家庭内の行事でも「天神講」と呼ばれる場合もある。新津では、「天神さまの宵宮」と呼ばれ、楽しい行事だったと聞く。
菅原道真の命日だといわれることがあるが、受験のご利益を求める近年のことのようだ。
すべてを司る天の神さま、家の守り神を新年や季節の節目にまつる古きよき行事だと思う。
*最後におわびと訂正をさせてください。
拙書『福を招くお守り菓子』などでは、2月25日に天神さまをまつる地域では、旧暦ならば3月のお彼岸に近い頃だったのでは、というような書き方をしていましたが、これは間違いです。申し訳ありません。
今現地でお話を聞いても、すでに新暦なのか、旧暦なのかはっきりわからない場合が多く、むしろ天神さまの命日という話も多く聞かれ、気になっていたのですが、各地の市史などの地元資料をあたってみると、旧1月25日の行事であったことが確認できました。
「春をよぶ天神さま」は現在もよく見聞きします。春を待ちのぞみ、家族で祝う家庭内行事であったこと、今後も大切に伝えていけたらと思います。
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