ぱなぱんびん 「お菓子の窓からのぞいたら」第27回

沖縄・多良間島の「はなぱんびん」。塩味の揚げ菓子


「ぱなぱんびん」という可愛らしい名前の菓子があります。沖縄本島からさらに南にある宮古島の西、多良間島の郷土菓子です。はじめてこの菓子の名前を聞いた時、「ぱ」や「び」が聞き取りにくく、何度も聞き返しました。「ぱな」は花、「ぱんびん」が揚げ菓子や天ぷらのことでした。そして、なにより細工のおもしろさに魅了されてしまいました。袋に書かれた「特産品加工所たらま花」と言う名も印象に残りましたが、花の名前については知らずにそのままになっていました。

 ところが、先日、横浜のとあるギャラリーで和綿染織の作家さんとご一緒する機会があり、私はちょうど前回の紅花について書いていた時でしたので、紅花が話題に上りました。彼は沖縄で機織りの勉強をしていたことがあるそうで、沖縄では、紅花を「たらま花」呼ぶと言ったのです。

 えっ、「たらま花」は紅花のことなのですか? と思わず声のトーンが上がりました。そう言われてみると、「ぱなぱんびん」の袋には、黄色いあざみのような花の絵が描かれていたことを思い出しました。そして、10年以上もそれが紅花の絵だと気が付かなかった自分を笑いました。

調べてみると、多良間の紅花は島の特産品として、琉球王朝へ献上されていたのでした。なぜ「ぱなぱんぴん」のような細工法が、小さな多良間島にあるのかと不思議だったのですが、紅花の話を聞いて、賦に落ちました。紅花を通して琉球王朝と直接交流があったのです。価値ある産物だったからこそ、島の名がついたのでしょう。

琉球王朝は、明治時代初期まで450年にわたって続いた独自の文化を持つ王朝でした。宮廷の料理人たちは「包丁人」と呼ばれ、士族階級に属し、王に従い江戸にも、薩摩にも赴むいたので、それぞれの任地で最先端の技術を習得できました。中華菓子をはじめ、さまざまな菓子文化がミックスされた琉球王朝の宮廷菓子は、現在も「包丁人」の子孫により伝承されています。たとえば、ちんすこう、くんぺん、ちいるんこうなど。その中でも「花ぼうろ(る)」という菓子が、多良間の「ぱなぱんびん」の細工とつながる宮廷菓子なのです。


琉球王朝の宮廷菓子の製法を引き継ぐ「花ぼうろ」。右はその細工の様子。「切ってかたちをつくる」と伝わる(写真提供=那覇市・新垣カミ菓子店)

この「花ぼうろ」の「切ってかをたちつくる」という製法が多良間島へ伝わり、基本の細工法が残ったようです。と同時に、長崎などの盆菓子や次週紹介するチベットの供物にも「ぱなぱんびん」と同様の細工がみられるのです。震源地はどこなのでしょう?

そうは言いつつ、この「花ぼうろ」、「ぼうろ」というだけに、南蛮菓子の系譜でもあります。卵の黄身だけを使い、精白小麦粉、黒糖文化の沖縄にあって白砂糖「白糖」を使うぜいたくな菓子なのです。沖縄が文化、物流の交差点だったことが、この菓子ひとつに凝縮されています。

実は、「花ぼうろ」は江戸でも一時期流行しました。菓子製法書に図解入りで載り、錦絵にも描かれました。しかし、今は沖縄だけにしか残っていません。沖縄では、すべて手細工でつくる宮廷菓子直系の「花ぼうろ」のほかに、大型の型抜き簡略タイプもつくられ、一般家庭の法事の祭壇に飾られるなど浸透しています。江戸では、ただ物珍しさを求めた流行だったので、残らなかったのでしょう。となると、江戸から琉球へ、というより、琉球から江戸へ伝わったとも考えられそうです。

 島の誇りをこめて、「たらま花」と呼ばれた多良間の紅花は、琉球王朝の崩壊と戦争により、すっかり絶えたかにみえましたが、残存種のほか、山形からも種を取り寄せ、少しずつ栽培が復活しています。「たらま花」も「ぱなぱんびん」も、ともに琉球王朝の遺産だったというわけです。

「お菓子の窓からのぞいたら」第27回 新潟日報2016年10月6日掲載

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