いとおかし*寿賀台の砂糖菓子


写真提供:村岡総本舗
いとおかし*寿賀台の砂糖菓子2010.11 より転載 © le studio massako mizoguti 

佐賀県南部には、婚礼の際に飾られた砂糖菓子尽くしの島台「寿賀台」(すがだい)の風習がありました。地元では「スガジャー」と呼びました。
実質的には昭和のうちに絶えてしまったそうですが、
砂糖菓子のあらゆる技を駆使した大変贅沢な婚礼菓子で、
これをつくることは、菓子職人の技量を見せることでもありました。

「寿賀台」に鯛とともに欠かせなかった「尉と姥」の砂糖菓子

この砂糖菓子(金花糖)を、佐賀出身の友人がお菓子屋さんに無理を聞いていただき、
つくっていただいては、少しづつ持ち帰ってきてくれます。
今回は「口砂香(こうさこう)」が人気の武雄市北方町の福田製菓店さんが、
寿賀台用の砂糖菓子の型をたくさんお持ちでしたので、
「尉と姥」(「おのえのじいさん ばあさん」と呼ぶ)をつくっていただきました。
福田さんご自身は、寿賀台をつくられたことはないそうですが、
砂糖菓子は普段からつくっていらっしゃるので、注文に応じてくださいました。
彩色は昔より淡く、部分的にとどめているとのことです。

菓子型は、菓子店廃業などの際、お菓子屋さんが引き継ぐことはよくあります。
そのような機会が一度ならずあったため、砂糖菓子の型は、陶器型の他に、瓦型(唐津百人町などで焼かれた)、木型があるそうです。
陶器型は、近くの弓野の土人形の型をつくる地域でつくられました。
土人形と砂糖人形の関係は興味のある点です。
 



写真提供:馬場製菓
嬉野市塩田の馬場製菓さんが昭和62、3年につくられた、最後の寿賀台です。
大きめの松が立てられ、その前にさまざまな有平細工や、鯛や恵比寿大黒、尉と姥などの砂糖菓子を配置します。


馬場製菓さんでも、普段から店頭に砂糖菓子や「こうさこう」が並んでいるそうです。写真は「和泉式部」。

ページのいちばん上の寿賀台は伊万里の栗副製菓舗(廃業)さん指導・製作です。
佐賀での菓子まつりのために、村岡総本舗さんの熱意もあって実現した貴重な復元寿賀台だそうです。
黒松に掛けられた大きな緑の有平の帯が、熟練の細工を伺えます。
激減してはいるものの、今ならまだ技術を持つ方が現役でいらっしゃるので、
これからも、佐賀の砂糖菓子について調査していけたらと思います。

砂糖菓子(金花糖)は南蛮菓子の有平糖と近しい関係で、大航海時代に持ち込まれた技術とも考えられます。
なぜなら、ルーツの源であるアラブ、アラブの支配を受けたスペイン、さらににスペインの支配地域だったシチリアやフランドル、南米のメキシコなどに、「型に砂糖液を流した中空の造形」である砂糖人形が行事と直結して今も残っているからです。
日本と同じように、大航海時代の伝播と思われます。
また、中国、台湾にも現存することが確認できるので、伝播ルートは今後の研究課題です。

日本で中空の金花糖(砂糖人形)が残ることを確認できているのは、佐賀の他に長崎、福岡、石川、富山、新潟などの県で、海のルートでの伝播を感じます。
いずれも行事や信仰と深く結びついていたことも残ってきた大きな要因ではないかと思います。

参考:『肥前の菓子 シュガーロード長崎街道を行く』村岡安廣 著  佐賀新聞社

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