いとおかし*砂糖人形をめぐって


いとおかし*砂糖人形をめぐって2010.11 より転載
© le studio massako mizoguti 

どれも中が空洞の砂糖人形です。
砂糖人形(金花糖)の製法は、とてもユニークです。
まず型を水に浸し、十分水を浸み込ませ「水型」と呼ばれる状態にします。
砂糖液を煮詰めていき、煮詰めの状態を見極め、火からおろして摺ります。
摺ることで空気を含んだ100℃以上の砂糖液を、水を含んだ型に流し込むと、瞬時に木型と接した砂糖液がはりつくように固まるので、一呼吸おいてひっくり返し、余分な砂糖液を鍋に戻します。
すると、中が空洞の透明感のある白い砂糖人形ができあがります。
型からはずして乾かし、その後彩色します。

彩色前までの工程は、チョコレート人形の製造工程と似ています。
順序からいえば、チョコレート人形は砂糖人形の型や製法を継承しているようにみえます。
写真の金花糖のほとんどは、何年か経っているため、半透明な感じが消え、マットな白肌になってしまいました。

一番上の犬張子は、江戸の金花糖職人さんの廃業前の最後の頃に入手。
骸骨は、メキシコの「死者の日」(11/1、2)につくられるもので、17世紀から伝えられている製法だと言われています。
右の女の子は報恩講や雛祭に。その下の小さいな3つは金沢の正月の縁起菓子。
真ん中の鯛とその右下の天神は、新潟の天神講(2/25)につくられ、
鯛によりかかる犬は、唐津くんちなどの祝いにつくられた砂糖菓子。
そして、その左に北フランスのクリスマスの幼な子イエスbébé en sucreです。

このフランスの砂糖人形(金花糖)にたどりつくまでのことは、話が長くなるのですが、
20年ほど前、パリのお菓子屋さんで気になり、買ってきた50個くらいが袋詰めになった幼な子の砂糖人形(写真下左)がはじまりでした。
  
それはコーンスターチ系の、日本にもあるフルーツなどをかたどった駄菓子(写真上右)と同じものでした。
この幼な子の砂糖人形を何に使うのか、その時はわからなかったのですが、数年後、フランスの行事菓子の本の中に答えを見つけました。
北フランスでクリスマスにつくられる発酵菓子「クニュ」の飾りでした。
旧フランドル地域の行事菓子で、お隣ベルギーでもつくられていました。16世紀のスペイン・ハプスブルク家支配の影響で、カトリックの行事菓子が残る地域です。

可愛らしいこの砂糖人形を元型にフェーヴをつくったりして遊ぶうち、
友人がフランスよりお土産に持ち帰ってきてくれたのが数種のbebe en sucreでした。
 
金花糖系砂糖人形(左)や、コーンスターチ系砂糖人形(右)
左は金花糖タイプの幼な子をエリーゼンクーヘンにのせて。右のチョコレートがかかけられた砂糖人形は、コーンスターチを敷き詰めた箱に型を押し、そのくぼみに流して作るタイプ。

この時、金花糖のような砂糖人形があることに初めて気がつきました。
さらに、友人がフランスで撮影したクリスマスのお菓子屋さんのショーケースの写真にも、金花糖!と思える天使の砂糖人形も写っていました。
それらの砂糖人形は金花糖に違いないと確信を抱くようになりました。

そして、それを確かめる機会がやってきました。
今年(2010)の1月、伊勢丹での「サロン・ドゥ・ショコラ」です。
MOFショコラティエが来日している、またとない機会です。
砂糖菓子をもたらしてくれた友人もかかわっていることもあり、少し人の波がひいた夕方頃に出かけて行きました。
彼女の達者な通訳で会場にいた数人のショコラティエに、金沢の金花糖を見せては、こういう菓子を知らないか?と聞いてまわりました。
すると、ファブリス・ジロットさんがとてもお詳しく、水に漬けてから使うこともご存知でした。昔のお菓子なので今ではほとんどつくらないとも教えてくださいました。
これらの幼な子をくださった友人のブログ『A la recherche des douceurs perdues』はとてもおすすめです。

このほか、シチリアには11月2日の死者の日に売られる砂糖人形Pupi di zuccheroがあります。
マルチャロ・マストラヤンニ主演の『みんな元気』という映画には、この砂糖人形が効果的に使われていました。
その半透明の質感、割れたときの様子で、この砂糖人形も金花糖ではないか?と思っています。(後年実物で確認)
シチリアの菓子は、スペイン菓子、つまりアラブの影響が強く、イスラーム時代には砂糖流通の通り道、拠点ともなっていましたから、砂糖人形が残っているのももっともなことです。

その製法は下のYouTube動画でも確認できました。
この砂糖人形はシチリアの人形劇の内容とも呼応しているようで、騎士と踊り子は古いモチーフのようです。

さらにそのルーツ、アラブの砂糖人形も、騎士と花嫁が典型的なモチーフだそうです。
11世紀には、カイロの甘菓子屋(ハルヴァなどを売る)で売られたり、
預言者誕生祭に繰り出す山車には砂糖でつくられた宮殿や人形が贅沢に飾られていたそうです。
アラビアの砂糖菓子の高度な技術が、精糖技術とともに伝わったわけですが、カイロでもすでに廃絶寸前のようです。
「3兄弟とエジプト生活」ブログの「人形がいっぱい!ムハンマド預言者生誕祭」というページでは、砂糖人形の貴重な画像が見られます。
また、下記の佐藤次高著『砂糖のイスラーム生活史』には長いドレスの女性木型も紹介されています。

アラビアの砂糖文化が、地中海地域(シチリアと向かい合うチュニジアなどにも現存)や、イベリア半島に根をおろし、その後に迎えた大航海時代に、海を越えて各国にもたらされました。
そして、それぞれの文化の中で、砂糖人形は行事には欠かせない存在となり、日本にも根をおろしています。

参考:『砂糖のイスラーム生活史』佐藤次高 2008 岩波書店
マイセンの磁器人形の前身が砂糖人形であったことについては、「金花糖と磁器人形」で。
金沢の金花糖の製造方法も、加賀名菓の越野さん撮影の動画でご覧ください。

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