いとおかし*越後長岡のお菓子*うば玉
新潟県では、主に祝儀・不祝儀に用いられてきた菓子「うば玉」。
不祝儀は白・緑(挽き茶)になります。
店頭に並ぶというより、婚礼などの引き菓子に好まれました。
ところが、洋菓子におされ、餡がたっぷりで甘い「うば玉」は時代遅れになってしまったようです。
それでも、婚礼用に大きな「うば玉」の紅白2個の詰め合わせをつくるお菓子屋さんも健在です。
「三つ盛」「五つ盛」といった引き菓子の中に大きなうば玉が入っていると、
わが家では、うば玉が一番人気でした。
長岡を離れてからは、うば玉に出会う機会もなくなり、いざ探しても店頭には並んでいません。
そこで、小千谷の松月堂さんにお願いして、2、3箱だけの注文でつくっていただきました。
県内のお菓子屋さんなら、きっとどこでも注文に応じてくださるでしょう。
菓子としては特別な材料を使うわけでもなく、つくり方もいたってシンプル。
小豆こし餡(ゴマ入りも)を求肥で薄く包み、新潟の場合は粉菓子(落雁)の種、
つまり微塵粉と砂糖を合わせたものをまぶすというか、ふんわりまとわせる感じでしょうか?
長岡では「うば玉」ですが、小千谷では「千歳」ともいいます。
新発田や新潟などでは「千歳」。
新発田や新潟などでは「千歳」。
新発田藩は加賀大聖寺藩から藩主に従い菓子職人がやってきた土地です。
高岡大野屋「千歳」 |
加賀藩といえば金沢。「千歳」は加賀名菓の代表的な菓子です。
二代藩主前田利長が開いた高岡でも「千歳」(写真上)。
旧加賀藩領域では、和三盆のみを使うようです。江戸時代は赤は紅花を使いました。
「千歳」は包んで販売するので、長岡のうば玉のように粉がふわりとかかった感じと違います。
餡も、加賀風に飴入りの餡を使うところが多いようです。
昔は京都が本店だった虎屋さんでも「千歳鮓」という菓銘で記録があり、
今でも、季節の生菓子の1種として販売されることがあるようです。
また、平戸の松浦家所蔵の菓子絵図帖『百菓之図』(1841年)には「烏羽玉」が描かれています。
最近、地元のお菓子屋さんによって復刻されています。(写真左下)
平戸松浦史料博物館茶室にて「烏羽玉」 |
弘前大阪屋の「うば玉」 |
そして、思いもかけないところでうば玉に出会いました。
懐かしい「ふきよせ」に似た菓子「冬夏」を買いに出かけた
弘前の大阪屋さんの店頭に「うば玉」とかかれた紙に包まれて並んでいました。
新潟県内では、うば玉が紙で包まれることはないので、
初めて見る「うば玉」の文字にわが目を疑いました。
こうしてみると、日本海側の菓子文化の奥深さとつながりを思わずにはいられません。
その他京都の「烏羽玉」、福島県白河の「烏羽玉」など、
名前や、形状が少し違うものを含め、類似の菓子が各地に点在しているようです。
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